2015年9月14日月曜日

『練習しなくても・・・を改め、がんばるマン登場!』


『練習しなくても・・・2』で手摺から両手を離し
ピースサインをしたTさんの写真を
載せたのですが
あれは隣から抱えられているのでは・・・
との物言いがついたTさん

今度は完全に自分で立って
できた!!
男を見せるとがんばるマンに変身され
何度もふらつく体と重力に抵抗しながら
ついに一人で立てました!

健康な人にはこの大変さが
わかりにくいと思いますが
自転車の補助輪を外す練習の時の
「あっ!」ていう感じです。

もし、これができなければ
居残りをしてでもやる。とおっしゃって
ましたが、終了時間の16時少し前に
とうとうやり遂げたのです。

いらした時は
「今日はだるくて調子が出ない・・・」
とおっしゃっていたのに
あきらめずにがんばりました!

Tさんはいつも周りの方に
「大丈夫、大丈夫」
と励ましていたので
”だいじょうぶマン”と呼ばれてた
そうですが
今日からはがんばるマンです。

帰り際には
「これからは家で練習したら
回数をカレンダーに記入しよう」と
奥様にお話しされてました。



Tさんの目標は
12月29日のご自身の誕生日までに
歩けるようになる。というものでしたが
なんと!リスマスまで繰り上げる
宣言されたのです!!

「それブログに載せてもいいですか?」と

伺うと
「いいよ」と言われました。

みなさん、楽しみにして
見守ってあげてくださいね!

2015年9月13日日曜日

生まれてすぐに脳出血『重度障害マー君の無限の可能性』

この日から新たに
マー君が仲間入りしました。
特注の車いすに乗るマー君

マー君は超未熟児で誕生し
命は一週間持つか・・・
助かっても一生障害が残るでしょう・・・
と言われていました。

生まれて数か月後には
脳出血や脳水頭症も
患いました。

そのマー君がたくさんの人の
愛に支えられ20歳になり
奇跡の復活研究所
出会われたのです。

堀尾はそんなマー君に
「僕から見てマー君が歩けないという
条件が見つからない」といって
マー君と3年間関わらせて欲しいと
申し出ました。

前日にお宅にお邪魔した際には
にこにこと笑顔を見せてくれるものの
おとなしい印象でしたが
この日ちこり村に到着すると
特注の車椅子に乗せてもらい
玄関先の五平餅を売っているかたに
大きな声で「おはようございます!」
とあいさつしていました。

今日はまずこの場に慣れてもらって
自分で手摺につかまり車いすを乗り換える
車いすの訓練をすることで
歩けるようになることを知ってもらう。
車いすの訓練は楽しい!ということを
感じてもらうのが目的でした。

マー君の車いすは片手でタイヤを
回せば両輪が同時に動く仕様のものなので
普通の車いすに移動してもらいました。

付き添われた祖父母であるSさん夫婦は
自分で立とうとするマー君がみられた
だけでもうれしそうです。

しかし、普通の車いすに移乗すると
マー君の細い足はぴんぴんに伸び
車椅子を漕ぐどころではありません。

これは前途多難、車椅子改造の
話まで出ましたが

「マー君足曲げてごらん」というと

両足一緒に一生懸命足を曲げます。
ぴんぴんに伸びた足

すると、ちゃんと足が床に着くでは
ないですか!

この後何度も足を曲げたり伸ばしたりが
できました。

これにはSさんご夫婦も信じられない!
といったご様子でした。

昨日までマー君の足は
胴体から伸びている体の一部と
いう感じで自宅では
匍匐前進のようにして移動していたのが
今日は歩くことを期待された
機能を持った”足”に見えました。

それに今まで車いすから
倒れないように全身
固定していたのが
全く固定しなくても3時間ぐらい
過ごすことができ
これにもSさん夫婦はよろこんで
いらっしゃいました。

この日マー君に何か教えたわけでは
足が床にペタンと着く
ありません。

マー君は”重度の障害で歩くことが
困難な子”という見方から
”無限の可能性を秘めた青年”という
見方に変えただけなのです。

これからマー君の成長を
みんなで見守っていきましょう・・・


マー君の成長が気になる方はこちら
↓ ↓ ↓
『マー君の無限の可能性・・・2』





2015年9月10日木曜日

『堀尾式脳卒中の麻痺からの奇跡の復活|自分を信じる』

言葉の訓練
今日から新たに仲間が
増えました。

愛知県安城市からいらした
Aさんです。

今年の2月に脳梗塞になり
約一か月前にリハビリ病院を
退院されました。

かなり努力されたのでしょう。
麻痺は右手に少しと
口元に少し残る程度です。

ご家族はよくなった。と
感じていらっしゃいましたが
ご本人は全く実感できず
浮かない表情です・・・


来月の16日~今までの職場に
復職が決まっているので
それまでに 今の状態より
よくなりたい。とのことでした。

今度の職場はパソコンを使う
仕事だそうです。



午前中は右手の訓練から始めました。

ご覧の通り元から
だいぶ手のひらが開く状態です。
右の麻痺した手で左手を握る

でも、指を一本ずつ動かすことができない。
とのことでした。

まずは一本ずつ動かすことは
置いておいて
今日は指を全体に動かす
訓練をしました。










 
訓練後の動画
薬指と小指がほぼ机に触るくらい
開くようになり 親指も少し開くようになりました。


ご本人曰く
”根気がないほう”だそうですが
2時間弱で今日の成果がでました。

ご自身でも少し良くなったことを
実感された様子でした。


終り際
堀尾が
「麻痺が改善して元のような
自分に戻れた時はいままで当たり前すぎて
ちこり村内に飾ってあった言葉
「どきっ」としますね
何とも思わなかったものにも感謝が湧いてきて
脳卒中になったおかげで今の自分がある。
と思える日がきますよ~」

というと

Aさんは目を丸くして
ホントかな・・・?という表情を
浮かべていらっしゃいました。

私は
「堀尾さんを信じるんじゃないですよ。
自分はやれるということを信じてくださいね」
とお伝えしました。


だれでも”元のような体に戻りたい”

と思うことはできます。
方法も簡単です。でも

誰かに頼るのではなく
自分はできる”と100
信じて できるまでやり通すことが
一番難しいことだなあ・・・と
感じています・・・

そのお手伝いが少しでもできたら
いいなあ。と思っています。


2015年9月7日月曜日

堀尾 憲市著『奇跡の復活』より  第1章”突然の一大事”

ある日突然、私は倒れてしまいました。

前触れらしきものもあったのですが
その時はまさか3~4時間後に人生最大の
危機がわが身を襲うなど、想像だにできず
テレビを見ながら寝てしまいました。

深夜、トイレに行きたくなり
立ち上がろうとしたら体が動きません。
もがけども、もがけども
すぐ近くのドアが果てしなく遠く
右の手だけが虚しく空を切るだけです。
苦しいこともありません。
痛いところもありません。
ただ体の自由が利きません。
気分が悪いわけでもないのに
何度も嘔吐します。

我が身の一大事。
これは脳卒中に違いない。
私は大声で隣の部屋にいる
息子の名を呼びました。


この大声が出たことが
私の命を救うことになりました。
私の場合は喋ることも
大きな声で呼ぶこともできたのです。
声に気付いた息子が要請した救急車で
私は隣町の市民病院神経外科へと
搬送されることになりました。
まさか自分が救急車で運ばれる事態が
発生するなど
想像したこともありませんでした・・・

2015年9月4日金曜日

『奇跡のリンゴとの共通点』

数年前
木村 秋則さんの「奇跡のリンゴ」
という本が話題になり映画化
されました。

リンゴ農家さんの
無農薬リンゴ栽培するのは
絶対不可能という
常識に挑戦し続け
周囲の白い目や
経済的窮地にも耐え
ひとつの真理に目覚めました。


その生物本来もっている力を信じてやれば
 人間が農薬肥料与えなくとも
ちゃんと成長実を結ぶ”


これって今のリハビリ業界の
常識とも共通するなあ。と
思いました。

脳卒中なり麻痺した手足
元には戻らない(中には
戻る方もあります)

麻痺して6ヶ月経過すると
それ以上向上期待できない・・・

機械や注射や最新技術によってリハビリをする・・・

麻痺した足には装具を付け杖をついて歩く

そんなことが常識になっているようです。





堀尾式のリハビリは
人間本来持っている
信じていることが
ベースあります。

だから方法は全くシンプルで
”こんなことかあ~”
ということです。
(状況の違う方に的確なアドバスを
するのは難しいことですが・・・)

その具体的な方法は
堀尾 憲市著『奇跡の復活』
本人の体験を通じて書いてあります。

ですからその方法をまねして
取り組めば誰でもできるはずです。

でも、そんな簡単な方法なのに
出来ないのはなぜでしょう・・・

この方法でやればよくなる
わかってもそれを継続することができない

少し改善してもある時点で壁ぶつかり
前に進めない

気持ちがふさぎこんでやる気が起こってこない

そもそもこんなことで良くなるのか
信用できない

他の人が良くなれたとしても
自分は当てはまらないのではないか・・・

いろいろな感情が湧いてきて
一人ではなかなかやりきることが
できないのです。

そんな方のために
「奇跡の復活研究所」を
岐阜県中津川市のちこり村内にて

堀尾の指導の下
ご自身で訓練する場を用意しています。

麻痺を回復させた本人から
直接方法を学ぶだけでなく
堀尾のこれまでの生き方や経験
考え方に触れることで
ご自身の人生への向き合い方にまで
影響が及んでいくことでしょう。

また、同じ境遇の方たちと
仲間意識も芽生え
あるときは励ましあい
あるときはライバルとして
切磋琢磨していくことができます。

付き添いの方同志も
同じ悩みを持った方と
お話しするだけでも
気持ちが楽になるようです。

一人でお悩みでしたら
お気軽にお電話ください。

(2020年現在はちこり村でのリハビリは行っておりません
宮古島での滞在型でのリハビリとなりますので
興味のある方はご連絡ください)


堀尾携帯090-3309-2352
FAX0573-32-1274




2015年9月2日水曜日

『Mさんの現状報告』

今日はMさんの成果を
見学に行ってきました。

今日で週1回ペースの7回目です。

もちろん自宅でも
練習されています。




最初いらした時は膝が1センチ
位しか前に出なかったのに
こんなにももが上がるようになって
びっくりしてしまいました!

Mさんは堀尾の書いた
『奇跡の復活』を読み
これなら自分も歩けるように
なるかも・・・と直感し
堀尾の言葉を信じ
前向きに取り組んできました。

お話ししていても
絶対仕事に復帰したい。
自分は必ず歩けるようになる。ということを
確信しているというのが
伝わってきます。

『歩きたいという気持ち』

『正しい方法』

『自分で治すという信念』

この三つがそろった時
奇跡が起こるようです。

いや、奇跡でもなんでもなく
人間の潜在的な力が
発揮されるのでしょう・・・





では、もも上げを
横から見た映像です。




最後は歩いているところ




2015年9月1日火曜日

『堀尾式脳卒中の麻痺からの奇跡の復活|2か月の成果』

豊田から7月は週4回
8月は週2回
奇跡の復活研究所に通われた
Hさん。

倒れてから9年間
奥様と二人三脚で麻痺の回復に
取り組まれてきました。

ありとあらゆる可能性のあるものに
挑戦し
費やした費用は家が買えそうなほどだとか。

その甲斐あって
こちらに最初いらした際はすでに
言語や手の麻痺は
ほとんど回復されていました。

しかし、足は思うように回復せず
装具と杖を相棒にして
歩いていらっしゃいました。

Hさんは堀尾の体験に
希望を見出し
本当にもくもくと訓練に
取り組んでいらっしゃいました。

もちろんご自宅でも
自主練習をされていました。

この2か月取り組んだ成果を
ご覧ください。
慎重に一歩ずつ
歩んでいらっしゃいます。

装具は付けていません。


9年経っても
可能性ってあるんですね。

あきらめる必要はないんですね。

あとは反復練習なので
ご自宅で奥様と一緒に
取り組んでいきます。との
ことでしたので
この日で卒業されていきました。
右から時計回りにHさん夫妻
神奈川から体験にいらしたYさん、Sさん、
堀尾


3か月は試してみるお気持ちで
通われ出したのですが
1か月も早く
ご自身でも取り組める自信が
できたようです。

Hさんの温泉の大浴場に入る
という夢が叶う日が
待ち遠しいです^^

報告お待ちしています!





こんなかたもいらっしゃいます。


リハビリに対してあまり積極的ではないご主人に
車で一時間以上かけてちこり村まで連れてきてもらわないと
いけないYさんは ご主人からリハビリに参加するのは
8回だけだからな!とくぎを刺されていました。
必死で自主練されたYさんは
たった5回の訓練で手すりに頼らず
ここまで歩けるようになりました
↓ ↓ ↓
『歩けたよ』