2017年2月25日土曜日

宮古島便り (18)



第2
[実証実験の始まり]
その 1

後日実験台になりたいという方が現れました、その方は市内に在住の男性でした三月の初めには準備も整い実証実験は三月十日から行うことになり、その日奥さんの運転する車に乗ってやってこられました。


「現在五十二歳で四十八歳で発症してから四年経ちました] と言われます。
「左の手足に麻痺が残り車椅子の生活で不自由しています」
「大変でしたねーよくうつ病にもならずにがんばりましたねー」 と言うと、車椅子の男性はこっくりとゆっくりした動作でうなずかれます。ゆっくりした動作に四年間の苦痛に満ちた年月が伝わってくる思いです。

左足には装具を付け左手は胸のまえで握り拳の状態です。
「さっそく訓練を始めましょう」
足の装具 ( 歩行補助具 ) をはずして車椅子の足を乗せるステップをはねあげて直接床に足を置いてもらいます。爪先に力を入れて(かかと)を持ち上げてもらいます。踵は動きません。何度も何度も挑戦します。
「よいしょ よいしょ」
と言う私の掛け声に合わせて一生懸命です。どのくらいしたでしょうか。ほんの少し踵が動いています。
[動き出しましたよ もう少しですよ もう少し]
しばらく続けるうち、はっきりと動いていることがわかるようになってきました。
ほんの2~3ミリほどですがとても大きな変化なのです。今までは自分の意志で動かすことはできなかったのですから。後ろに立ってじっと見守っていた奥さんが横に回って動き出した足の甲にそっと手を添えました。
「あなた 動いているよ 動いているよ」
[うん うん] 
とうなずきながら一生懸命続けます足元にぽつ ぽつと涙が落ちているではありませんか。肩も少し震えています。
落ちる涙が絶望の底で必死に戦ってきた筆舌に尽くせぬ日々を物語っているようです。ほんのわずか動いたことで涙があふれる。健常な人には到底わかりようのない心境でしょう。深い深い絶望と苦悩の年月がわずか2~3ミリの動きを涙に変えたのです。どんなに嬉しかったことか、小刻みに震える肩が語っているようです。

夕方まで訓練し二人で帰って行かれました。
夜になって奥さんから電話がありました。
「今日は有難うございました。帰りの車の中で主人がこれから自分のことは堀尾さん
に全て任せてみるから送り迎えを頼むよと言いましたので宜しくお願いします」 と言われます。
「わかりました、一緒にがんばりましょう」
すると奥さんが
「今まで誰の言うことも心の中に落ちなかったのに堀尾さんの言葉はみんな心の中に落ちてきたよと言いました] 
と言われます
「私も主人の後ろで見ていて全身で喜びを表している姿に目がうるうるしてしまいました。本当に嬉しかったです」 
言葉が詰まりそうに話される声から嬉しさが伝わってきます。
この後から三日か四日の間隔で訓練を始めました。
毎回 訓練の課題を出します。どれもすぐにはできません。何に注意したらいいのかなぜするのかなど解説しながら訓練の手ほどきをします。訓練するのは脳卒中の後にできた新しい脳です。今四歳の真新しい右脳の運動野なのです。発症後一週間前後で壊れた運動野(体の動的バランスや手足の動きを司っている脳の部位 )に替わって新品の運動野ができたはずです。
が、そこには手足を動かしたりバランスを取ったりするプログラム(作業の手順書)がありません、それをインストール(書き込み記憶)して各種の設定(行う作業内容による決まりや遂行手順 たとえば箸の持ち方使い方等々)をしないことには運動野は意のままに機能させることができません。運動野から出ている神経は何千万本か一億本かわかりませんが、脳全体からは五~六億本出ていると言われていますから半身動かすだけでも膨大な数なのでしょう。この一本一本が筋肉の中の筋原線維(0.001~0.15ミリで束になって筋繊維を構成しているこれが束になったのが筋肉)に繋がっています。指一本を動かすのにどれだけの数の筋線維が動くのかわかりませんが筋原線維の細さからすれば莫大な数の筋原繊維が束になって一本の指を動かしているのでしょう。気の遠くなるような数の中から目的の指を動かす筋原繊維に繋がる神経を探し出し信号を流す、考えただけでも大変なことをしているのです。今まで使っていた運動野には手足に繋がっている神経接続情報が有ったのですが脳卒中発症と同時に失われてしまいました。
新しくできた運動野にはこの情報はありません。これをもう一度作ること、それが麻痺を克服する訓練その物なのです。

◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎

宮古島に来る前 岐阜県中津川市にある
ちこり村 という施設の一室でリハビリ教室をしていました。

そちらの様子はこちらから
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脳出血で倒れて麻痺になり 復活するまでの体験記を読みたい方は
こちらから
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堀尾憲市著 『奇跡の復活』



堀尾式ノウハウや考え方を知りたい方はこちら

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サトウキビの収穫


2017年2月24日金曜日

宮古島便り (16)

「奇跡の復活」
  より (3)

本の中から抜粋して
掲載します 



第9章
[新しい人生への第一歩]
その 3

私たちの体は神秘に満ちています。私たちは、その神秘について書かれた書物の、目次にようやく辿り着いたばかりです。

その本に何が書かれているのかまだ私達人類は一字も読んではいません。 
脳は正常に動く予備の膨大な信号線の中から正しい接続を見つけ出し元の状態に戻します。それは大変な作業でしょう、が、私たちの脳にはこの機能が間違いなく組み込まれているはずです。
そうでないのなら九五パーセントにも及ぶ、膨大な予備を脳にも、脊椎にも、なぜそなえているのでしょうか、説明がつきません。
まさに驚異としか言えない、これらの機能に感謝せざるをえません。私たちの体は神秘に満ちています。私たちは、その神秘について書かれた書物の、目次にようやく辿り着いたばかりです。
その本に何が書かれているのかまだ私達人類は一字も読んではいません。
私達の生命を維持する為に、備わっている多くの機能は高度に自動化され、使用説明書も必要のないように出来ています。

私の脳の、運動野に有ったプログラムも、故障と同時になくなりました。それは私が、一歳前後の時に、試行錯誤しながら、自動生成したものを六十数年間使ってきたものでした。何の知恵もなく、まだ幼く可愛いかった私が、興味本位で動きまわっていた間に、しぜんに作られたものだったのです。
当時一歳の私でも出来たものが、難しいはずがありませ。それに今、私が挑戦しているのです。私の脳はもうかなりな中古です。記憶部分が時々故障しているようですが、いっこうに修理された様子はありません。ですが今回、壊れたところは修理済の新品です。嬉しいではありませんか、私の体で、唯一新品なのはこれだけで。、それが一生懸命なのです、私が次に何をするのか、待ち構えています。
何か行動すればその動きのプログラムを作り始めます、そして私がその動きをしようと、千回以上挑戦すれば新しいプログラム作りに成功します。そうして、もう、いくつものプログラムを完成させてきました。
そして今、私の最大の望みである、もう一度歩けるようになりたいという事を、かなえるために、一生懸命、試行錯誤してくれています。


「奇跡の復活」からの抜粋はこれで終わりです。
次回からは「続 奇跡の復活」から参考になる部分を
掲載します。


パパイヤ

宮古島便り (15)

「奇跡の復活」より (2)

本の中から抜粋して
掲載します (2)



第9章
[新しい人生への第一歩]

その 2


ただ、私が手足を動かそうとすることを繰り返すだけで、それを行うプログラムを自動で生成します。私はプログラムの作り方など全く知りません、ただ動かそうと動くまで試みただけです。

新しく出来た一歳の脳に仕組まれていたプログラム自動作成機能が働き、手の指、腕、自立して座っている事、足の動き、バランスを保って立つ事、などどれをとっても最初は不可能と思えるような事のプログラムを作ってきました。
これから生きていく時間の長さからすれば、一瞬のうちに手足の機能を回復させました。

生命の神秘としか言いようのない、驚嘆するしくみです。脳に障害がおきた場合にそなえて、私たちの脳には、何にも頼らず元の機能を回復する機能が、そなわっていたのです。

ただ人類はそのことに気付き始めたばかりなのです。それを生かす方法までには、まだ辿りついていません、生きていくうえで最重要な脳であるがゆえに、脳に何か起こって行動出来なくなって、生命の維持に支障が出た場合を想定し、この危機から我々を救うべく、機能が埋め込まれていたのです。

私たちの体は超精密な機械です。それを動かし制御するのはものすごく高性能なコンピューターである、脳です。そこの一部が突然壊れてしまったのが私なのです。
超精密な機械の私も、コンピューターが壊れて電池のきれたロボットになってしまいました。
ところが、そのコンピューターは自ら修復し、その故障した部分を新品と交換し、配線も、し直して正常に動くように、短時間で修理してしまったのです。

動かそうと試み試行錯誤を繰り返すのは結果の見えない途中では其のこと自体が無駄な努力に思え空しく情けなく、とてもこんなことで動くようになる訳がないとあきらめたくなると思います。無理もありません。
なったものにしかその気持ちはわかりません、ですがその無駄にしか思えない努力の向こうには誰も体験した事のない素晴らしい世界が待っているのです。

それは誰にも体験できる世界ではありません、あなただけに開かれた、言葉では語れない感動と感謝に満ちた素晴らしい世界なのです。

そこへの切符をあなたは手にしているのです。選ばれたのです。素晴らしい世界の客人として。
真っ暗なトンネルの中ですが、出た途端一瞬にして目の前にその素晴らしい世界が広がるのです。
一生懸命努力しているあなたにとって、真っ暗なトンネルはどこまでも続いているのではありません、あなたの努力に比例して出口は確実に近づいてきているのです。
不運をなげいているかもしれませんが、あなたの運は正反対なのです、其のことを
実感する時が必ず来ます。それを信じて努力して下さい

マリンブルーの明るく透き通る宮古の海


2017年2月23日木曜日

宮古島便り (14)

「奇跡の復活」より (1)


本の中から抜粋して
掲載します。

第9章
[新しい人生への第一歩]


翌日、朝早くからベッドの脇の施設訓練場に立ちます。
 今日は左足を一歩前に出せるようにしたい。五センチでも
いいから前に出したい。何度でも挑戦します。その都度、
倒れそうになり柵に捕まります
こんな難しいことを、ついこの間までできて当たり前、
できなくなる時が来るなど想像もしませんでした。
人は二本足で立って歩くことをいとも簡単にしていますが
今の私には普通に歩いていたことが信じられないくらい難しいことです。
少しずつ上半身が安定してきました。
足を前に出す訓練ですが、立っていることの訓練でもあることがわかります。
立っていることが確立していない今、私の脳は平衡器官からの信号を瞬時に全身の筋肉に伝えて、身体の傾きを修正します。この「伝えて修正する」ことに、私の脳はまだなれていません。今、必死に学習し、習得しようと頑張ってくれています。まだ一歳の幼い脳は、溢れるような膨大な信号を間違いなく処理し、私の要求する「歩く」と言うことを達成するために働いてくれています。早く成功させてやりたい。
一緒に喜びたい。二本の足で立って、バランスを保とうとしていながら片足を動かすと言うことは、バランスを自ら崩す
ことをするわけで、倒れて当たり前なのです。必死にバランスを調整し立っていようとしている脳の仕事を邪魔し、妨害しているに等しい行為です。私の幼い脳は不平を言わず、ただひたすら自分に与えられた仕事をしてくれています。
一生懸命成功することだけを考えて試行錯誤を繰り返しています。この幼い脳の努力を無駄にはできません。そんなことになったらどんなに落胆することでしょう。
けなげに、まだ仕事の仕方も完全には覚えていないのに頑張っているのです。成功させたい、いや成功しなくてはいけないのです。幼い脳がけなげに頑張っているのに、私が諦める訳にはいきません。
もう何回失敗したのか分かりませんが、着実に上達していることは確かです。

 「大変だと思うけど頑張っておくれ、僕も負けずに頑張るからね、絶対成功させるからそれまで頼むよ」
 「うん大丈夫、がんばって」

幼い脳と私との二人三脚です。六五歳の私が一歳の脳に励まされながらヨチヨチと歩くことに挑戦しています。
その姿は文字通り、一歳の赤ちゃんの行為です。なんと可愛げの無い赤ちゃんでしょう。
自分の足をまじまじと眺めて見ると可愛い足ではありませんか。愛くるしくさえなります。ベッドに座ってなでてやります。
 「よく頑張っているね、ご苦労さん」
今まで自分の手や足を愛おしく思ったことなど全くありませんでした。こんな非情な私に何の不平も言わず、一時も離れず付き従ってくれていたのに、感謝の気持ちをもつこともなく今まで生きて来てしまいました。
なんと言うことか、なんと愚かだったことか。この歳になってやっと気付くとは情けないことですが、これが私なのです。今回のことが無ければ、愚かな私は気付くこと無く人生を終えてしまったことでしょう。

今は、倒れたことに感謝の気持ちでいっぱいです。私は手や足をこのままにしておくことはできません。
それでは手や足になんと言って詫びたらいいか分かりません元通り動くようにしなければ感謝の気持ちも嘘になります。
しなければならないのです。

前例があろうが無かろうが、リハビリの専門家ができないと言った脳のリハビリをしなければ、私の手や足は永久に電池の切れたロボットなのです。
前例がなければ私がなればいいではありませんか。



タコノキ、蛸の足のような気根が根元に有ります 街路樹として植えてありました

2017年2月22日水曜日

宮古島便り (13)

手は動くようになるの (4)
今手は動いていなくても
大丈夫です動きます。
私の手も最初はぴくりとも
動きませんでした。
いくら動かそうとしても動かない手を見つめていると
言いようの無いむなしさに襲われ悲しいとか絶望とかそんな表現では表しきれない
気持ちでした。きっとそんな気持ちの方もおられることでしょう。
リハビリ病院に行けば専門の先生方が私の手を動くようにしてくださるからそれまでの辛抱と思っていましたが。
リハビリでは動くようにならないとわかったときのショックはとても大きく今でも忘れられません。
それからは、もう頼るべきものはない。頼るべきは自分しかないと思い、試行錯誤の連続になりました。
それが功をそうして動くようになりました。

手は壊れてはいません
手を動かすコントローラーは短時間で修復し待機しています
そこにもう一度プログラムを造れば動きは蘇ります。

痙縮が有って動かない状態に二通り有ります。
指は開いているが動かない場合と指を握りしめてしまって
開くことができなくなってしまった場合。
痙縮が起こっていなくて動かない場合は麻痺手の指を健康な手で動かしても抵抗なく動ごかすことができます。
この場合は指は開でもなく閉じるでもなく中間にありますが
一番動かしやすいタイプになります。


手の訓練は全く指が動かなければ訓練できませんが
一ミリでも動けば訓練できます。
大事なことは元通り動かすことばかりにとらわれず
少しの動きを大きな動きへと発展させていくたゆまぬ努力が
できるかどうかだけです。

手は必ず動きます。
それが信じれるかどうかです。
信じれる方とどうしても動かさなければならない方、
そしてどうしても動かしたい方は

一月の初めからのブログを丹念に読み返してください。
できればプリントして綴っていつも読んでください。

動かす方法は全て書いてあります。



手前はたばこの苗の植え付けしたばかりの畑で六月に収穫します。奥の方は収穫をまつサトウキビ

2017年2月21日火曜日

宮古島便り (12)

手は動くようになるの (3)
誰でも動くようになります。
方法は難しくはありません。
自分の手を見てください。
麻痺手はひらいていますか
閉じて握った状態ですか

開いている方は指の先に力を入れて握りしめるようにしてください。力は強くてはいけません。最小限の力で動かします。力ずくで動かそうとはぜっいしないでください。
力を入れるのは1~2秒ほどです。握って、開いて、と頭で
繰り返し念じながら続けます。

すぐには動きませんが一ヶ月以内には必ず動くようになります。
忍耐力と動くと信じて行うことが肝心です。
一日何時間したらいいですかという質問をよく受けますが
多いに越したことはありません。
リハビリ病院は静養するために入院するところではありません。訓練するために入院しているのです。脳卒中後遺症のリハビリは受け身でいる限り改善はやらないよりまし程度です
自発的に訓練しない限り改善はありません。
受け身で改善するのならこんなにも多くのリハビリ難民は
生まれません。一日何時間したらいいかという質問自体
だめです。目が覚めている時間の自由時間はすべて訓練時間
です。動くようにするのはあなたです。作業療法士ではありません。人生最大の難所にいるのです。助けてくれる者はいません。乗り切るのに頼れる者は自分自身だけです。
初めての体験で暗中模索です。出口など見つかるはずがありません。もがき苦しむしかないのです。
そうしてこそ乗り越えたときの価値は計り知れないものに
なるのです。今までなんとも思わなかった手足の動きに感動し、諸々に感謝する毎日が一生続くのです。
脳卒中は神様からのプレゼントなのです。
プレゼントにするか、災難にするかはあなた次第です。
 
リハビリ病院のベットにひがな寝ているだけで改善するほど
甘くはありません。
改善させる方法は書きますが、信用して、するかしないかは
自由です。

一ミリでも動くようになれば大成功です。その一ミリが
やがてあなたに大きな幸せをもたらす一ミリになるのです。

指が開いている方へのアドバイスはこれが全てです。
こんなことで動くようになるはずはないと思えばそれまでです。
以後このブログを読む必要はありません。

スターフルーツ





2017年2月20日月曜日

宮古島便り (11)

手は動くようになるの (2)
残念ながらリハビリ病院退院時に動いていなければ
諦めるしかないのが現実です。
麻痺した手を動かすことを考えるより健康な方の手で生活
できるように練習しましょう。
利き手が麻痺してもそうでない方で何でもできるように
なりますから大丈夫ですよ、早く気持ちを切り替えて
悲しんでいなくてもいいですからね、頑張りましょう。

これが現実ですがこれでいいのでしょうか。
私は受け入れることはできません。手はこわれてなんか
いないのです。
それどころかいつでも動かせる準備を整えて待っているのです。動かす訓練さえすれば脳は応えてくれます。脳はそのときを待っているのです。

雪国Aさんは利き手麻痺です。指が痙縮から拘縮に移行しています。2月7日時点では第二関節(俗称)が親指以外は90度に屈曲固定されて動きませんでした。ですが今日は人差し指と薬指は拘縮が解除され普通に伸びています。そして小指と薬指以外は動くようになりました。

足に比べて手は比較にならないくらい復活させやすいのです
足は動くようになる人が多いのに手は動かない人が多いでは
ないかと思っている人がほとんどでしょう。
「奇蹟の復活教室」に来られる方が手は動きますなんてことは、初めて聞きましたと皆さん言われます。
足は動いても手は難しいというのが一般常識で現実もその通りです。

発症前の歩きを取り戻した人は皆無
私は歩けるということはどちらの足が麻痺足だったのか
わからないように歩けるようになることとしています。
不自由な歩き方は骨格の歪みを誘発し身体を健康で保てなく
なります。そうなるで有ろう歩き方はしない方が良いと思っています。発症前と変わらない歩きができなければ歩きを
取り戻したとはいえませんから皆無と書きました。

現在、発症前の歩きに戻るのは大変難しいでしょう。が、
不可能ではありません。

それに比べて手の動きはとても復活させやすいのです。
足は大変な規則性の制約の元で動かなければなりませんが
手にはそんなものはありません。動きさえすればそれでいいのです。それであるならば手の動きは簡単です。

痙縮ゃ拘縮がなければ手は動きます。有っても動くようになりますが無いに超したことはありません。
痙縮ゃ拘縮は防ぐことができますから防がないといけません
防ぎ方はこのブログの中に書いてありますのでさかのぼって
読んでください




手は動きますから希望を持ってください。
動くことに経過年数は関係ありません。
腕は指が自由に動かせるようになれば自然と動くように
なります。腕は指が動かないうちは訓練しても無駄になります。握っている状態の方は指を手でこじ開けて伸ばすようなことはしないでください。どれだけしても指は開いてはくれません。動かし方も書いていきますから参考にしてください


指は必ず動くようになります。
信じてください、自分の指を



2017年2月19日日曜日

宮古島便り (10)

通りすがりの畑の片隅にたわわにみのるばなな
手は動くようになるの (1)

もちろん動くようになります。
手は壊れていません。
壊れたのは脳なのです
ですがそこは1~2週間後
には修復され新品状態で
待機しています。問題は手を動かしていたプログラムが
消滅したことです。

プログラムは何度でも作れます
から安心してください。プログラムは自分で作るもので
他人に作ってもらうことはできません。
訓練は消滅したプログラムの再構築をすることなのです。
プログラムなどと聞くと難しそうで自分には無理だと
思う方もおられるでしょう。でもそんなことはありませんよ、誰でも手足を動かす 話をすることなど幼児期に身に付けますが、すべてプログラムができて動く話すを実現しているのです。もちろんそのときにプログラムに関する知識など有ろうはずもなくただ人まねをしてそのようになろうと幼児なりに努力した結果自然とプログラムができたのです。
ですからプログラムを造った意識もなくそんなことはできないと思っても当然なのです。

ネットワークができて動くようになるのではありません
手足を動かしたり話をすることなどはネットワークが
できれば実現できるほど単純ではありません。
一つの筋肉だけでも千分の3ミリ程の細い筋源繊維
何十万何百万と集まってできています。動かすためにはその一本一本に信号(電気信号では有りません)を送っていますが
信号は強弱のコントロールを精密に行う必要があり動かした
分量もリアルタイムに受け取らないといけません。
こんなことはネットワークなとどという言葉で説明できることではありません。

ネットワークとは網状に繋がれた回路ですがそれは物理的な
構築物です。その中に何か意味のある信号を流すための道具
にすぎません。
私の問題にしているのはその中を流れている信号(化学変化による電位差)そのものなのです。
その信号は脳内で造られていますがその細部どころか信号の
存在すらわかっていないのです。
脳波。筋電図。心電図。など信号をとらえているではないかと言われるかもしれませんが、とらえているものは信号が来て筋肉が反応したことから起こった電位差を検出しているに
過ぎません。
どんな信号が来たのか、それはどんな意味を持っていたのか
などは何もわかっていません。
何もわからないままにわかっているように説明しているだけです。

手足を動かしたり話をするプログラムは
作り方を知らなくても脳内で自動的にできますから作り方は
知らなくても大丈夫です。
大事なことは正しいプログラムを脳が造ることができるようにすることです。
麻痺からの復活訓練は脳が正しいプログラムを造るために
人は何をすべきか、すべきでないかだけです。
それをわきまえて訓練すればプログラムは脳がつくってくれますから脳に任せておけばいいのです。
次回からは手を動かすプログラム造りの話をします。


2017年2月18日土曜日

宮古島便り (9)

構音障害の訓練 (4)

構音障害の訓練は今回が最後です。

構音障害で不自由しておられる方、家族の方は大変なご苦労をしておられることで
しょう。

正しい訓練さえすれば言語は戻ってきます。
指導者には誰でもなれます。訓練は忍耐と愛情が一番大切です。愛情があるが故にしつこくなったり強い言葉が出たりして当然なのですが愛情プラス言葉を発することのできなくなった相手の心に想いをはせることができるなら、あなたは 
最高の指導者です。技術はいりません。特別なことを教えるのではありません。

先頃まで自由に話していた言葉をもう一度話せるようにするだけです 英語を学ぶ訳ではありません。
これまでに書いた言語、構音障害のブログを読んで参考にしてくだされば言葉を取り戻すことは十分可能です。

脳卒中後の脳は驚くべき復活力を発揮します。
それは想像を遙かに超えた素晴らしいものです。
大切なのは自分の脳に備わっている能力を信じ感謝する
気持ちです。
それさえあれば復活は現実のものとなり
あなたも周りも幸せに包まれるでしょう。


2017年2月17日金曜日

宮古島便り (8)

構音障害の訓練 (3)
構音障害は、あいうえお、の
50音を発することができなくなった症状であることについては誰も異論は無いと思います。
であるなら50音を発することをできるようにすることが構音障害ののリハビリであるはずです。ですがその訓練を
しているリハビリテイション病院は非常に少ないのが現状です。なぜこんなことが起こっているのか理解できません。

構音障害の患者さんに50音の訓練をしてもらうと短時間で
構音障害が改善します。改善には経過年数は関係しません。

研究者の皆さんはどのように考えておられるのかお聞かせください。

伝えたい事柄が伝わらない苦しさは想像に難くありません。
日本語を母国語としていながらその素晴らしさの恩恵を
受けられないのです。
悲しいではありませんか。

50音は表音文字です。しかも一文字に対する音は一音だけです。こんなにシンプルなのに表す言葉の数は他言語に比べ
非常に多く同音異義語は多くて二つです。アルファベット圏の多さから比べたら比較になりません。
アルファベットも表音文字ですが一文字に対する音が多く
存在し構音障害の克服には大変な努力を要するでしょう。

アルファベット圏の構音障害の人に文字を元にした言語指導はいたずらに混乱を招くだけになり文字からはなれた指導が
重要なのは理解できますしそれらの研究論文も多く存在しています。 文字と言語の関係が複雑で発音と文字を関連付けることができないのです。その意味では表現方法として基本的に欠陥を含んでいます。

外国の構音障害のリハビリの仕方は日本には参考にならないばかりか障害にさえなります。
研究者の方が素晴らしい日本語ならではの指導法を研究し発表されるのを切に希望します。



透き通るマリンブルーの海を見ながら車椅子で歩行練習中の雪国Aさん夫妻

2017年2月16日木曜日

宮古島便り (7)

構音障害の訓練 (2)

雪国Aさんは奥さんが先生に
なって言葉の訓練です。
先生ぶりが板についてきて
夫婦で息の合った授業です。

今日は50音がかなり上達したので文章を読む練習です。
リハビリ病院で言語聴覚士の指導で言葉の訓練をしましたが
コミニケーション能力は少しの改善もありませんでした。

50音を教えることなく絵カードによる会話レッスンで
言葉の基本である50音が自分流の発音になり意味不明の
音の羅列になりコミニケーションが全くとれなくなってしまったのです

口腔内筋肉の50音を構成する一覧表に間違ったデーター
を書き込んでしまったのです。
正しい音は適切な指導者の元でしなければ正しく音を
発するようにはなれません。
雪国Aさんはこの指導者に恵まれなかったため正しい
一覧表ができないばかりか間違ったデーターで一覧表を
作ってしまいました。

一度作ったデーターを修復するのは大変です。
そのデーターの修復作業の先生が奥さんなのです。
朝食を終えるとすぐに授業が始まります。
始めてから今日で九日めです。
雪国Aさんの進歩はめざましく50音はほぼ理解できるまでになり写真の文章朗読練習になりました。

間違ったデーターが無く 白紙状態なら50音を学ぶのは
難しくはありませんが雪国Aさんはリハビリ病院で受けた
リハビリでできてしまったデーターの作り直しのため
毎日2時間ほどをかけ今日に至りました。

言語聴覚士の方も自分が指導したことで患者が苦労している
ことなど思いもよらぬことでしょう。
脳卒中の後遺症のせいだから言葉を話すことが難しくなってしまったのだから仕方ないと思っていると思います。

何ヶ月も指導してもコミニケーションがとれなかった患者が
一ヶ月もしないうちに会話を不自由なくできるようになるなど理解できないと思います。

指導能力が無かったわけではありません。
学校で学んだ指導方法が間違っていたのです。
雪国Aさんも被害者ですが指導者も被害者なのです。
加害者はいないのでしょうか、

雪国Aさんを指導しているのはリハビリの素人の奥さんです
その奥さんの指導で驚くような改善をしているのです。
誰がするかでなく方法が正しいか、正しくないか、だけなのです。

このブログを読んでいる方の中にも言語障害の方があるかも
しれませんが正しい指導さえ受ければ経過年数に関係なく
改善しますから希望を持ってください。

ブーゲンビリアの花 島のそこかしこで咲いています。

2017年2月15日水曜日

宮古島便り (6)

構音障害の訓練(1)

構音障害は話す内容を頭の中にまとめることはできますが
言葉として発することができなくなった状態です

なぜ言葉として発せないか
声帯の振動音を、どのようにして、あいうえお 、に聞こえる音にしているのでしょう。

声帯は一定の振動をしているだけのリード楽器のリードに
過ぎません。楽器はリードの振動音の高低を変化させて音楽を紡ぎますが人は声帯の振動を固有の意味を持った音に変化させコミニケーションをとる手段にすることを発明したのです。
人類の素晴らしい大発明です。

声帯から出た単純な振動音を唇から出るまでに口腔内の
共鳴具合を変化させることで文字の読みを意味する音に
変化させるのです。
声帯から唇までのわずかな空間を巧みに使うことで声帯からの振動音は表音文字の一音ごとの意味を持った音になります。

私達人類は口腔内のこの仕組みを解明するに至っていません
共鳴を変化させるために数十とも百とも言われる筋肉が
関わっています。これらの筋肉を動かす指令を出しているのが脳内の言語野なのです。

一つの筋肉を動かす量はミリ単位かそれ以下です。
言語野には50音のそれぞれに対する筋肉寸法を記録した一覧表がありそれに従い各筋肉の寸法を調整して50音を
形成しているのです

一覧表は50音の一音ごとに数十もの筋肉の寸法が厳密に
区分けされ記録されています。

構音障害はこの一覧表が消滅した事態なのです

一覧表の再構築
もう一度、失われた一覧表を作らないと声帯からの振動音を
表音文字の、あいうえお、にすることはできません。
この作業に日本語ほど優れた特質を持っている言語は
世界にありません。
構音障害の訓練と表音文字の50音は切っても切れない関係を持っています。
「奇跡の復活教室」ではこの関係を利用することにより
素晴らしい成果が挙げられているのです。


訓練の詳細
訓練は難しくはありません。
重要なことは患者が50音以外の音を発しないことです。
新しく再生した脳の言語野の一覧表はすべて空白です。
いい加減な発音をするとそのデーターが書き込まれてしまいます。
正しい発音を一音ずつ発してその時の各筋肉の寸法を
書き込まないといけません。
指導者と患者は向き合いあいうえお、から教えます。
自分が発している音が相手に正しく聞こえているのか本人にはわかりずらく、指導者が正しい発音になっているか
チェックし正していかないといけません。
正しい音になったら
一音を2~3秒の長さで発音します。
2~3秒の長さでゆっくりと安定して発音することにより脳は各筋肉の寸法を正確に読み取り記録することができるのです。

早口言葉や間違いやすい言葉を羅列して言わせることは
絶対にしてはいけません。

一覧表に間違ったデーターを書き込むと修正するのが
大変です。

2017年2月14日火曜日

宮古島便り (5)

言語障害の話をします。

話をするには頭の中で質問の内容に合う言葉を探して文法通りに並べて言葉を発する器官に送りそこで音声となります。

言葉を発するまでには幾つもの手順を経ないとなりません。
その過程のどこに問題が生じたかによって症状は変わってきます。

その症状に合わせたリハビリでなくてはなりません。

(1) 質問の内容が理解できるかどうか

コミニケーションは相手の言っている内容を理解しなければ
成立しません。これができなくなる場合もあります。

(2) 質問の内容はわかるが答えがわからない。

簡単な答えのはずなのにわからない。
一見記憶喪失のように見えますがそうではありません。

(3) 答えはわかるがうまくまとまらない

とりとめのない話になったり、全く違う話になったりします

(4) ここまでは問題ないが言葉が相手に伝わらない

発音器官を操ることができない。これは構音障害です。

失語症は大きく分けると(1) (2) (3) (4) このようになると思いますが高次脳機能障害ともダブル場合もあり複雑です。

失語回復で重要なのは(1)~(4)のどれに当たるかで
訓練の内容は全く違ってきます。

雪国Aさんは(4)の状態で構音障害です。
リハビリ病院で受けた訓練は(1)の障害者向けの訓練でした
 
絵カードを見せられ それについての話を求められました
雪国Aさんは(4)以外は問題ありませんから答えはすぐわかりますが50音の発し方がわかりませんから一生懸命に伝えようとしました。その結果50音の発音が全く自己流の発音になってしまいました。その病院では50音の練習をすることを禁じられてしまい正しく発音する訓練の場もなかったのです。私には考えられないことですが多くの病院のこれが現実です。

次回は雪国Aさんが(4)克服のためにどんな訓練をしているか
お話しします。


下の写真はすぐ近くの畑一面に咲いている花です。
 きょうも良い天気で周りは春です。 















2017年2月13日月曜日

宮古島便り (4)

宮古島に来て、早くも一週間になりました。
宮古島にしては寒い日々でしたが、今日は車の窓ガラスを
開けて走ると心地よい気温になりました。

訓練の進み具合は順調で雪国Aさん夫妻も楽しそうです。
雪国Aさんには環境の変化がとても大きく少し休養が
必要かもしれませんが本人は食欲もあり奥さんの手料理を
美味しそうに平らげてすこぶる元気です。

このブログを読んでいる方の中には失語症でもどかしい
日々を過ごしている方もあると思います。
手足が動かないのも困りますが言語障害はそれに劣らず
本人はもどかしさでストレスが大きくなり大変なのです。

私も再発時は言語障害になりました。
自分は正しく発音しているつもりですが相手に伝わらず
もどかしい限りでした。

脳卒中の後遺症は一部を除けば一過性の障害です。
決して一生モノではありません。

「奇跡の復活教室」ではこの障害は治すことはできないので
一生、障害と付き合って生きていくしかありませんと病院で
言われた方々が改善し病院の先生方を不思議がらせた方が
何人もおられます。

脳の復活力は素晴らしいものがあります。
脳卒中で脳は壊れてしまいますが予備で待機している
所に新しいネットワークができて7~10日後には新しい
活動を始めます。

脳は平常時には5パーセントの活動域で
人の生存のすべてを行っています。95パーセントは
まさかの時のために待機しています。最近その部分が
幹細胞状態で待機しているということがわかりました。

損傷の起こった部位に、とって替わる能力を持って待機しているのです。

それならすぐに後遺症障害はなくなりそうですが現実は
そうはなりません。

なぜでしょうか?

脳細胞が体を動かしてはいないからです。

では何が動かしているのか。

脳細胞の中にあるプログラムがすべてを動かしています
決してネットワークがつながって動き出すのではありません

人の体の中にはコントロールしなければならない箇所が無数に存在し受け取らなければならない情報発信センサーも無数にあります。それらとやり取りするするために脳からは
数億本にも及ぶ神経が出ているのです。しかもこの中の5パーセントですべてを賄い95パーセントは予備として存在しています。

脊椎損傷になる人が毎年2~3万人発生するそうですが
その方々も復活の可能性があるのです。
私の知っている方の中にも脊椎を損傷し一生車椅子ですよ。
と言われ3年の自己訓練の結果、日本の100名山踏破を
目標にあと残すところわずかになった方がおられます。

諦めないことと正しい訓練さえすれば不可能はありません。

身体を生存さすプログラムは再構築できます。
正しいプログラムを作らないといけないのです。
外部からの力でプログラムを作ることはできません。
すべて本人が行動した結果としてプログラムはできます
ロボットティチィングの手法そのものです。
ですから患者に無理な動きや道理に合わない行動は
絶対にさせてはいけないのです
いったん記憶したプログラムを修正することは大変な労力を
要します。患者に接する人はこのことを良く理解して当たらないと取り返しのつかないことをしてしまうことになります

定説を覆すことは容易ではありませんが私の関わる方々が
その証人となってくださる日が必ず来ることを信じて
います。

2017年2月12日日曜日

宮古島便り (3)

宮古島のハイビスカスです。
昨日までの曇り空は午後から晴れて太陽の光が
暖かく包んでくれます
午後からは部屋を出て車で5分で行ける海のそばで車椅子歩行訓練を行いました。
綺麗な海が広がり心地よい光の中でちょっぴり冷たい風も
気になりません、雪国Aさんは奥さんと一緒に波の音を聞きながら訓練です。リハビリというイメージからは全く別世界です。車椅子を漕ぐ足も気持ち良さそうです。

雪国Aさんは言葉の訓練もしています。
奥さんが先生になって二人でしてもらいます。
リハビリ病院で発音に苦労している夫を手助けしようと
あいうえお、の練習をしましょうかと奥さんが言語聴覚士に
言ったところ、あいうえお、の練習はしないで下さいと
言われてしまいました、と言われます。

今多くの病院では構音障害の患者に、あいうえお、を教えません。リハビリの教育書などで50音を教えるよう書いてあるものを私は見たことがありません。

多くの本では言葉の発音を優先させ文字の読みは発音ができるようになってからでないといけませんと書いてあります。
文字と発音を同時に教えると弊害が出るとあります。
絵カードを使った指導を進めています。

執筆者はどれも名のある大学の先生方ばかりです。
この方法はアルファベット文化圏では正しいと思いますが
ここは日本です。
ひらがな文化の国です。

両方の決定的な違いは文字に対する読みが一文字一音であるかどうかです。日本は、は、へ、以外は文字に対する読みは
一音に固定されています。それに対してA、B、C、は固定されてはいなくて文字に対する音は単語ごとに違いますから
一文字の音を覚えてしまうとスペルを見たときに混乱を
生じてしまいますから文字に対する音は教えなくて言葉としての単語の発音を教えなくてはならないのです。
ABCをエービーシーと発音する知識は無いほうが良いのです。CAR・CAMP・CLASS・CARE・COMPACT のそれぞれの 、C 、の文字の発音は カキクケコ の5音に変化します。C、は か行ばかりでなく さ行にも変化します。
膨大な数のスペルに対する音を記憶しなくてはなりません。

それに比べて日本語はとてもシンプルです。いろは48文字の読みは単語によって変化することはありません。
48の文字に対する音を習得しさえすれば、どんな単語でも発することができるのです。
頭の中に、ひらがなで言葉を描きその文字通りに発音すれば
意味が通じるようになります。

わずか48の音だけです。アルファベットの文字に対する
音の複雑さからは想像もできないくらいシンプルです。

綴りと発音の関係を学ばなくても言葉を駆使することができる世界で唯一の言語です。

だからこそ日本独自の言語療法でなければならないのです。
外国から学ぶべきものなどないのです。
外国の論文の翻訳などいくらしても日本の言語療法の参考に
なるものはありません。言語療法に日本語ほど習得しやすい
言語はないでしょう。

「奇跡の復活教室」で言語で苦労するのは、リハビリ過程であいうえお、の発音を間違って覚えてしまったものの修正作業なのです。
発音の仕方もわからないのに絵カードを見て言葉を発することなどできるはずがありません。絵に描かれた事柄はわかってもどんなふうに発音していいものかわからないのです。
一音を発するのに動く筋肉はとても多く、しかも
その筋肉は音に対して誰でも動きは同じです。

一定の規則に従って音を発しています。その規則は音に対して人による誤差はありません。教える側からも教わる側からも本当に便利で素晴らしいなことです。
このことがあるからこそ「奇跡の復活教室」では目覚ましい
成果を上げることができるのです。
指導の仕方が優れているのではありません。
日本語の特質が優れているのです。日本語は文字表記と言語表現の両方で究極的に進化した言語です。
その素晴らしさの恩恵にあずかり日本に生まれたことに感謝しようではありませんか。

2017年2月11日土曜日

宮古島便り (2)

ブログが途絶えて心配かけました。
宮古島からすぐにブログを書こうとしましたが
ここは宮古島の中でも田舎でインターネットの環境が
ありませんでした。
Wifiルーターをレンタルし先ほど届きましたので
インターネットが開通しました。

宮古島は沖縄の南西290キロに浮かんでいる直角三角形
のような形で周囲114キロほどの島です。
サンゴ礁が一万五千年から四千年前に隆起してできた島で
島全体が平坦で山が無いと思っていましたが野原岳という
山がありました、標高108.6メートしかなく
岳というには低いですがここではれっきとした山です。

宮古島には川がありません。

島全体にサトウキビが栽培されていて今は刈り取りの
最盛期です。

人口は五万四千人程で島全体が田舎の感じで時間が
とてもゆっくりと流れている人情豊かな島です。
私がここに来ることにも多くの方々が滞在先探しなどで
応援してくださいました。

雪国の空港を出るときは吹雪でしたが着いた宮古島空港は
花が咲いていて春でした。
めったにない寒さに襲われ寒いのではありませんかと
地元の方は心配してくださいますが室温16~18度くらいで私たちには暖房は無くても大丈夫な温度です。

一番寒い一月の平均気温が18度で亜熱帯に属しています。

島のことで紹介したいことが一杯ありますが少しずつ
書いていきます。

雪国Aさんの体調が心配でしたが突然の環境大変化も
無事乗り越えリハビリに精出しています。
言葉と立ち上がり、そして足の基礎訓練そしてもう一つ
右手の指に起こった拘縮の改善と訓練内容は盛り沢山です。

それぞれの訓練については
その都度詳しく経過とともに紹介します。