2017年2月23日木曜日

宮古島便り (14)

「奇跡の復活」より (1)


本の中から抜粋して
掲載します。

第9章
[新しい人生への第一歩]


翌日、朝早くからベッドの脇の施設訓練場に立ちます。
 今日は左足を一歩前に出せるようにしたい。五センチでも
いいから前に出したい。何度でも挑戦します。その都度、
倒れそうになり柵に捕まります
こんな難しいことを、ついこの間までできて当たり前、
できなくなる時が来るなど想像もしませんでした。
人は二本足で立って歩くことをいとも簡単にしていますが
今の私には普通に歩いていたことが信じられないくらい難しいことです。
少しずつ上半身が安定してきました。
足を前に出す訓練ですが、立っていることの訓練でもあることがわかります。
立っていることが確立していない今、私の脳は平衡器官からの信号を瞬時に全身の筋肉に伝えて、身体の傾きを修正します。この「伝えて修正する」ことに、私の脳はまだなれていません。今、必死に学習し、習得しようと頑張ってくれています。まだ一歳の幼い脳は、溢れるような膨大な信号を間違いなく処理し、私の要求する「歩く」と言うことを達成するために働いてくれています。早く成功させてやりたい。
一緒に喜びたい。二本の足で立って、バランスを保とうとしていながら片足を動かすと言うことは、バランスを自ら崩す
ことをするわけで、倒れて当たり前なのです。必死にバランスを調整し立っていようとしている脳の仕事を邪魔し、妨害しているに等しい行為です。私の幼い脳は不平を言わず、ただひたすら自分に与えられた仕事をしてくれています。
一生懸命成功することだけを考えて試行錯誤を繰り返しています。この幼い脳の努力を無駄にはできません。そんなことになったらどんなに落胆することでしょう。
けなげに、まだ仕事の仕方も完全には覚えていないのに頑張っているのです。成功させたい、いや成功しなくてはいけないのです。幼い脳がけなげに頑張っているのに、私が諦める訳にはいきません。
もう何回失敗したのか分かりませんが、着実に上達していることは確かです。

 「大変だと思うけど頑張っておくれ、僕も負けずに頑張るからね、絶対成功させるからそれまで頼むよ」
 「うん大丈夫、がんばって」

幼い脳と私との二人三脚です。六五歳の私が一歳の脳に励まされながらヨチヨチと歩くことに挑戦しています。
その姿は文字通り、一歳の赤ちゃんの行為です。なんと可愛げの無い赤ちゃんでしょう。
自分の足をまじまじと眺めて見ると可愛い足ではありませんか。愛くるしくさえなります。ベッドに座ってなでてやります。
 「よく頑張っているね、ご苦労さん」
今まで自分の手や足を愛おしく思ったことなど全くありませんでした。こんな非情な私に何の不平も言わず、一時も離れず付き従ってくれていたのに、感謝の気持ちをもつこともなく今まで生きて来てしまいました。
なんと言うことか、なんと愚かだったことか。この歳になってやっと気付くとは情けないことですが、これが私なのです。今回のことが無ければ、愚かな私は気付くこと無く人生を終えてしまったことでしょう。

今は、倒れたことに感謝の気持ちでいっぱいです。私は手や足をこのままにしておくことはできません。
それでは手や足になんと言って詫びたらいいか分かりません元通り動くようにしなければ感謝の気持ちも嘘になります。
しなければならないのです。

前例があろうが無かろうが、リハビリの専門家ができないと言った脳のリハビリをしなければ、私の手や足は永久に電池の切れたロボットなのです。
前例がなければ私がなればいいではありませんか。



タコノキ、蛸の足のような気根が根元に有ります 街路樹として植えてありました

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