2017年2月25日土曜日

宮古島便り (18)



第2
[実証実験の始まり]
その 1

後日実験台になりたいという方が現れました、その方は市内に在住の男性でした三月の初めには準備も整い実証実験は三月十日から行うことになり、その日奥さんの運転する車に乗ってやってこられました。


「現在五十二歳で四十八歳で発症してから四年経ちました] と言われます。
「左の手足に麻痺が残り車椅子の生活で不自由しています」
「大変でしたねーよくうつ病にもならずにがんばりましたねー」 と言うと、車椅子の男性はこっくりとゆっくりした動作でうなずかれます。ゆっくりした動作に四年間の苦痛に満ちた年月が伝わってくる思いです。

左足には装具を付け左手は胸のまえで握り拳の状態です。
「さっそく訓練を始めましょう」
足の装具 ( 歩行補助具 ) をはずして車椅子の足を乗せるステップをはねあげて直接床に足を置いてもらいます。爪先に力を入れて(かかと)を持ち上げてもらいます。踵は動きません。何度も何度も挑戦します。
「よいしょ よいしょ」
と言う私の掛け声に合わせて一生懸命です。どのくらいしたでしょうか。ほんの少し踵が動いています。
[動き出しましたよ もう少しですよ もう少し]
しばらく続けるうち、はっきりと動いていることがわかるようになってきました。
ほんの2~3ミリほどですがとても大きな変化なのです。今までは自分の意志で動かすことはできなかったのですから。後ろに立ってじっと見守っていた奥さんが横に回って動き出した足の甲にそっと手を添えました。
「あなた 動いているよ 動いているよ」
[うん うん] 
とうなずきながら一生懸命続けます足元にぽつ ぽつと涙が落ちているではありませんか。肩も少し震えています。
落ちる涙が絶望の底で必死に戦ってきた筆舌に尽くせぬ日々を物語っているようです。ほんのわずか動いたことで涙があふれる。健常な人には到底わかりようのない心境でしょう。深い深い絶望と苦悩の年月がわずか2~3ミリの動きを涙に変えたのです。どんなに嬉しかったことか、小刻みに震える肩が語っているようです。

夕方まで訓練し二人で帰って行かれました。
夜になって奥さんから電話がありました。
「今日は有難うございました。帰りの車の中で主人がこれから自分のことは堀尾さん
に全て任せてみるから送り迎えを頼むよと言いましたので宜しくお願いします」 と言われます。
「わかりました、一緒にがんばりましょう」
すると奥さんが
「今まで誰の言うことも心の中に落ちなかったのに堀尾さんの言葉はみんな心の中に落ちてきたよと言いました] 
と言われます
「私も主人の後ろで見ていて全身で喜びを表している姿に目がうるうるしてしまいました。本当に嬉しかったです」 
言葉が詰まりそうに話される声から嬉しさが伝わってきます。
この後から三日か四日の間隔で訓練を始めました。
毎回 訓練の課題を出します。どれもすぐにはできません。何に注意したらいいのかなぜするのかなど解説しながら訓練の手ほどきをします。訓練するのは脳卒中の後にできた新しい脳です。今四歳の真新しい右脳の運動野なのです。発症後一週間前後で壊れた運動野(体の動的バランスや手足の動きを司っている脳の部位 )に替わって新品の運動野ができたはずです。
が、そこには手足を動かしたりバランスを取ったりするプログラム(作業の手順書)がありません、それをインストール(書き込み記憶)して各種の設定(行う作業内容による決まりや遂行手順 たとえば箸の持ち方使い方等々)をしないことには運動野は意のままに機能させることができません。運動野から出ている神経は何千万本か一億本かわかりませんが、脳全体からは五~六億本出ていると言われていますから半身動かすだけでも膨大な数なのでしょう。この一本一本が筋肉の中の筋原線維(0.001~0.15ミリで束になって筋繊維を構成しているこれが束になったのが筋肉)に繋がっています。指一本を動かすのにどれだけの数の筋線維が動くのかわかりませんが筋原線維の細さからすれば莫大な数の筋原繊維が束になって一本の指を動かしているのでしょう。気の遠くなるような数の中から目的の指を動かす筋原繊維に繋がる神経を探し出し信号を流す、考えただけでも大変なことをしているのです。今まで使っていた運動野には手足に繋がっている神経接続情報が有ったのですが脳卒中発症と同時に失われてしまいました。
新しくできた運動野にはこの情報はありません。これをもう一度作ること、それが麻痺を克服する訓練その物なのです。

サトウキビの収穫


2017年2月24日金曜日

宮古島便り (16)

「奇跡の復活」
  より (3)

本の中から抜粋して
掲載します 



第9章
[新しい人生への第一歩]
その 3

私たちの体は神秘に満ちています。私たちは、その神秘について書かれた書物の、目次にようやく辿り着いたばかりです。

その本に何が書かれているのかまだ私達人類は一字も読んではいません。 
脳は正常に動く予備の膨大な信号線の中から正しい接続を見つけ出し元の状態に戻します。それは大変な作業でしょう、が、私たちの脳にはこの機能が間違いなく組み込まれているはずです。
そうでないのなら九五パーセントにも及ぶ、膨大な予備を脳にも、脊椎にも、なぜそなえているのでしょうか、説明がつきません。
まさに驚異としか言えない、これらの機能に感謝せざるをえません。私たちの体は神秘に満ちています。私たちは、その神秘について書かれた書物の、目次にようやく辿り着いたばかりです。
その本に何が書かれているのかまだ私達人類は一字も読んではいません。
私達の生命を維持する為に、備わっている多くの機能は高度に自動化され、使用説明書も必要のないように出来ています。

私の脳の、運動野に有ったプログラムも、故障と同時になくなりました。それは私が、一歳前後の時に、試行錯誤しながら、自動生成したものを六十数年間使ってきたものでした。何の知恵もなく、まだ幼く可愛いかった私が、興味本位で動きまわっていた間に、しぜんに作られたものだったのです。
当時一歳の私でも出来たものが、難しいはずがありませ。それに今、私が挑戦しているのです。私の脳はもうかなりな中古です。記憶部分が時々故障しているようですが、いっこうに修理された様子はありません。ですが今回、壊れたところは修理済の新品です。嬉しいではありませんか、私の体で、唯一新品なのはこれだけで。、それが一生懸命なのです、私が次に何をするのか、待ち構えています。
何か行動すればその動きのプログラムを作り始めます、そして私がその動きをしようと、千回以上挑戦すれば新しいプログラム作りに成功します。そうして、もう、いくつものプログラムを完成させてきました。
そして今、私の最大の望みである、もう一度歩けるようになりたいという事を、かなえるために、一生懸命、試行錯誤してくれています。


「奇跡の復活」からの抜粋はこれで終わりです。
次回からは「続 奇跡の復活」から参考になる部分を
掲載します。


パパイヤ

宮古島便り (15)

「奇跡の復活」より (2)

本の中から抜粋して
掲載します (2)



第9章
[新しい人生への第一歩]

その 2


ただ、私が手足を動かそうとすることを繰り返すだけで、それを行うプログラムを自動で生成します。私はプログラムの作り方など全く知りません、ただ動かそうと動くまで試みただけです。

新しく出来た一歳の脳に仕組まれていたプログラム自動作成機能が働き、手の指、腕、自立して座っている事、足の動き、バランスを保って立つ事、などどれをとっても最初は不可能と思えるような事のプログラムを作ってきました。
これから生きていく時間の長さからすれば、一瞬のうちに手足の機能を回復させました。

生命の神秘としか言いようのない、驚嘆するしくみです。脳に障害がおきた場合にそなえて、私たちの脳には、何にも頼らず元の機能を回復する機能が、そなわっていたのです。

ただ人類はそのことに気付き始めたばかりなのです。それを生かす方法までには、まだ辿りついていません、生きていくうえで最重要な脳であるがゆえに、脳に何か起こって行動出来なくなって、生命の維持に支障が出た場合を想定し、この危機から我々を救うべく、機能が埋め込まれていたのです。

私たちの体は超精密な機械です。それを動かし制御するのはものすごく高性能なコンピューターである、脳です。そこの一部が突然壊れてしまったのが私なのです。
超精密な機械の私も、コンピューターが壊れて電池のきれたロボットになってしまいました。
ところが、そのコンピューターは自ら修復し、その故障した部分を新品と交換し、配線も、し直して正常に動くように、短時間で修理してしまったのです。

動かそうと試み試行錯誤を繰り返すのは結果の見えない途中では其のこと自体が無駄な努力に思え空しく情けなく、とてもこんなことで動くようになる訳がないとあきらめたくなると思います。無理もありません。
なったものにしかその気持ちはわかりません、ですがその無駄にしか思えない努力の向こうには誰も体験した事のない素晴らしい世界が待っているのです。

それは誰にも体験できる世界ではありません、あなただけに開かれた、言葉では語れない感動と感謝に満ちた素晴らしい世界なのです。

そこへの切符をあなたは手にしているのです。選ばれたのです。素晴らしい世界の客人として。
真っ暗なトンネルの中ですが、出た途端一瞬にして目の前にその素晴らしい世界が広がるのです。
一生懸命努力しているあなたにとって、真っ暗なトンネルはどこまでも続いているのではありません、あなたの努力に比例して出口は確実に近づいてきているのです。
不運をなげいているかもしれませんが、あなたの運は正反対なのです、其のことを
実感する時が必ず来ます。それを信じて努力して下さい

マリンブルーの明るく透き通る宮古の海


2017年2月23日木曜日

宮古島便り (14)

「奇跡の復活」より (1)


本の中から抜粋して
掲載します。

第9章
[新しい人生への第一歩]


翌日、朝早くからベッドの脇の施設訓練場に立ちます。
 今日は左足を一歩前に出せるようにしたい。五センチでも
いいから前に出したい。何度でも挑戦します。その都度、
倒れそうになり柵に捕まります
こんな難しいことを、ついこの間までできて当たり前、
できなくなる時が来るなど想像もしませんでした。
人は二本足で立って歩くことをいとも簡単にしていますが
今の私には普通に歩いていたことが信じられないくらい難しいことです。
少しずつ上半身が安定してきました。
足を前に出す訓練ですが、立っていることの訓練でもあることがわかります。
立っていることが確立していない今、私の脳は平衡器官からの信号を瞬時に全身の筋肉に伝えて、身体の傾きを修正します。この「伝えて修正する」ことに、私の脳はまだなれていません。今、必死に学習し、習得しようと頑張ってくれています。まだ一歳の幼い脳は、溢れるような膨大な信号を間違いなく処理し、私の要求する「歩く」と言うことを達成するために働いてくれています。早く成功させてやりたい。
一緒に喜びたい。二本の足で立って、バランスを保とうとしていながら片足を動かすと言うことは、バランスを自ら崩す
ことをするわけで、倒れて当たり前なのです。必死にバランスを調整し立っていようとしている脳の仕事を邪魔し、妨害しているに等しい行為です。私の幼い脳は不平を言わず、ただひたすら自分に与えられた仕事をしてくれています。
一生懸命成功することだけを考えて試行錯誤を繰り返しています。この幼い脳の努力を無駄にはできません。そんなことになったらどんなに落胆することでしょう。
けなげに、まだ仕事の仕方も完全には覚えていないのに頑張っているのです。成功させたい、いや成功しなくてはいけないのです。幼い脳がけなげに頑張っているのに、私が諦める訳にはいきません。
もう何回失敗したのか分かりませんが、着実に上達していることは確かです。

 「大変だと思うけど頑張っておくれ、僕も負けずに頑張るからね、絶対成功させるからそれまで頼むよ」
 「うん大丈夫、がんばって」

幼い脳と私との二人三脚です。六五歳の私が一歳の脳に励まされながらヨチヨチと歩くことに挑戦しています。
その姿は文字通り、一歳の赤ちゃんの行為です。なんと可愛げの無い赤ちゃんでしょう。
自分の足をまじまじと眺めて見ると可愛い足ではありませんか。愛くるしくさえなります。ベッドに座ってなでてやります。
 「よく頑張っているね、ご苦労さん」
今まで自分の手や足を愛おしく思ったことなど全くありませんでした。こんな非情な私に何の不平も言わず、一時も離れず付き従ってくれていたのに、感謝の気持ちをもつこともなく今まで生きて来てしまいました。
なんと言うことか、なんと愚かだったことか。この歳になってやっと気付くとは情けないことですが、これが私なのです。今回のことが無ければ、愚かな私は気付くこと無く人生を終えてしまったことでしょう。

今は、倒れたことに感謝の気持ちでいっぱいです。私は手や足をこのままにしておくことはできません。
それでは手や足になんと言って詫びたらいいか分かりません元通り動くようにしなければ感謝の気持ちも嘘になります。
しなければならないのです。

前例があろうが無かろうが、リハビリの専門家ができないと言った脳のリハビリをしなければ、私の手や足は永久に電池の切れたロボットなのです。
前例がなければ私がなればいいではありませんか。



タコノキ、蛸の足のような気根が根元に有ります 街路樹として植えてありました

2017年2月22日水曜日

宮古島便り (13)

手は動くようになるの (4)
今手は動いていなくても
大丈夫です動きます。
私の手も最初はぴくりとも
動きませんでした。
いくら動かそうとしても動かない手を見つめていると
言いようの無いむなしさに襲われ悲しいとか絶望とかそんな表現では表しきれない
気持ちでした。きっとそんな気持ちの方もおられることでしょう。
リハビリ病院に行けば専門の先生方が私の手を動くようにしてくださるからそれまでの辛抱と思っていましたが。
リハビリでは動くようにならないとわかったときのショックはとても大きく今でも忘れられません。
それからは、もう頼るべきものはない。頼るべきは自分しかないと思い、試行錯誤の連続になりました。
それが功をそうして動くようになりました。

手は壊れてはいません
手を動かすコントローラーは短時間で修復し待機しています
そこにもう一度プログラムを造れば動きは蘇ります。

痙縮が有って動かない状態に二通り有ります。
指は開いているが動かない場合と指を握りしめてしまって
開くことができなくなってしまった場合。
痙縮が起こっていなくて動かない場合は麻痺手の指を健康な手で動かしても抵抗なく動ごかすことができます。
この場合は指は開でもなく閉じるでもなく中間にありますが
一番動かしやすいタイプになります。


手の訓練は全く指が動かなければ訓練できませんが
一ミリでも動けば訓練できます。
大事なことは元通り動かすことばかりにとらわれず
少しの動きを大きな動きへと発展させていくたゆまぬ努力が
できるかどうかだけです。

手は必ず動きます。
それが信じれるかどうかです。
信じれる方とどうしても動かさなければならない方、
そしてどうしても動かしたい方は

一月の初めからのブログを丹念に読み返してください。
できればプリントして綴っていつも読んでください。

動かす方法は全て書いてあります。



手前はたばこの苗の植え付けしたばかりの畑で六月に収穫します。奥の方は収穫をまつサトウキビ

2017年2月21日火曜日

宮古島便り (12)

手は動くようになるの (3)
誰でも動くようになります。
方法は難しくはありません。
自分の手を見てください。
麻痺手はひらいていますか
閉じて握った状態ですか

開いている方は指の先に力を入れて握りしめるようにしてください。力は強くてはいけません。最小限の力で動かします。力ずくで動かそうとはぜっいしないでください。
力を入れるのは1~2秒ほどです。握って、開いて、と頭で
繰り返し念じながら続けます。

すぐには動きませんが一ヶ月以内には必ず動くようになります。
忍耐力と動くと信じて行うことが肝心です。
一日何時間したらいいですかという質問をよく受けますが
多いに越したことはありません。
リハビリ病院は静養するために入院するところではありません。訓練するために入院しているのです。脳卒中後遺症のリハビリは受け身でいる限り改善はやらないよりまし程度です
自発的に訓練しない限り改善はありません。
受け身で改善するのならこんなにも多くのリハビリ難民は
生まれません。一日何時間したらいいかという質問自体
だめです。目が覚めている時間の自由時間はすべて訓練時間
です。動くようにするのはあなたです。作業療法士ではありません。人生最大の難所にいるのです。助けてくれる者はいません。乗り切るのに頼れる者は自分自身だけです。
初めての体験で暗中模索です。出口など見つかるはずがありません。もがき苦しむしかないのです。
そうしてこそ乗り越えたときの価値は計り知れないものに
なるのです。今までなんとも思わなかった手足の動きに感動し、諸々に感謝する毎日が一生続くのです。
脳卒中は神様からのプレゼントなのです。
プレゼントにするか、災難にするかはあなた次第です。
 
リハビリ病院のベットにひがな寝ているだけで改善するほど
甘くはありません。
改善させる方法は書きますが、信用して、するかしないかは
自由です。

一ミリでも動くようになれば大成功です。その一ミリが
やがてあなたに大きな幸せをもたらす一ミリになるのです。

指が開いている方へのアドバイスはこれが全てです。
こんなことで動くようになるはずはないと思えばそれまでです。
以後このブログを読む必要はありません。

スターフルーツ





2017年2月20日月曜日

宮古島便り (11)

手は動くようになるの (2)
残念ながらリハビリ病院退院時に動いていなければ
諦めるしかないのが現実です。
麻痺した手を動かすことを考えるより健康な方の手で生活
できるように練習しましょう。
利き手が麻痺してもそうでない方で何でもできるように
なりますから大丈夫ですよ、早く気持ちを切り替えて
悲しんでいなくてもいいですからね、頑張りましょう。

これが現実ですがこれでいいのでしょうか。
私は受け入れることはできません。手はこわれてなんか
いないのです。
それどころかいつでも動かせる準備を整えて待っているのです。動かす訓練さえすれば脳は応えてくれます。脳はそのときを待っているのです。

雪国Aさんは利き手麻痺です。指が痙縮から拘縮に移行しています。2月7日時点では第二関節(俗称)が親指以外は90度に屈曲固定されて動きませんでした。ですが今日は人差し指と薬指は拘縮が解除され普通に伸びています。そして小指と薬指以外は動くようになりました。

足に比べて手は比較にならないくらい復活させやすいのです
足は動くようになる人が多いのに手は動かない人が多いでは
ないかと思っている人がほとんどでしょう。
「奇蹟の復活教室」に来られる方が手は動きますなんてことは、初めて聞きましたと皆さん言われます。
足は動いても手は難しいというのが一般常識で現実もその通りです。

発症前の歩きを取り戻した人は皆無
私は歩けるということはどちらの足が麻痺足だったのか
わからないように歩けるようになることとしています。
不自由な歩き方は骨格の歪みを誘発し身体を健康で保てなく
なります。そうなるで有ろう歩き方はしない方が良いと思っています。発症前と変わらない歩きができなければ歩きを
取り戻したとはいえませんから皆無と書きました。

現在、発症前の歩きに戻るのは大変難しいでしょう。が、
不可能ではありません。

それに比べて手の動きはとても復活させやすいのです。
足は大変な規則性の制約の元で動かなければなりませんが
手にはそんなものはありません。動きさえすればそれでいいのです。それであるならば手の動きは簡単です。

痙縮ゃ拘縮がなければ手は動きます。有っても動くようになりますが無いに超したことはありません。
痙縮ゃ拘縮は防ぐことができますから防がないといけません
防ぎ方はこのブログの中に書いてありますのでさかのぼって
読んでください




手は動きますから希望を持ってください。
動くことに経過年数は関係ありません。
腕は指が自由に動かせるようになれば自然と動くように
なります。腕は指が動かないうちは訓練しても無駄になります。握っている状態の方は指を手でこじ開けて伸ばすようなことはしないでください。どれだけしても指は開いてはくれません。動かし方も書いていきますから参考にしてください


指は必ず動くようになります。
信じてください、自分の指を