第2章
[実証実験の始まり]
その 1
後日実験台になりたいという方が現れました、その方は市内に在住の男性でした三月の初めには準備も整い実証実験は三月十日から行うことになり、その日奥さんの運転する車に乗ってやってこられました。
「現在五十二歳で四十八歳で発症してから四年経ちました] と言われます。
「左の手足に麻痺が残り車椅子の生活で不自由しています」
「大変でしたねーよくうつ病にもならずにがんばりましたねー」 と言うと、車椅子の男性はこっくりとゆっくりした動作でうなずかれます。ゆっくりした動作に四年間の苦痛に満ちた年月が伝わってくる思いです。
左足には装具を付け左手は胸のまえで握り拳の状態です。
左足には装具を付け左手は胸のまえで握り拳の状態です。
「さっそく訓練を始めましょう」
足の装具 ( 歩行補助具 ) をはずして車椅子の足を乗せるステップをはねあげて直接床に足を置いてもらいます。爪先に力を入れて踵を持ち上げてもらいます。踵は動きません。何度も何度も挑戦します。
「よいしょ よいしょ」
と言う私の掛け声に合わせて一生懸命です。どのくらいしたでしょうか。ほんの少し踵が動いています。
[動き出しましたよ もう少しですよ もう少し]
しばらく続けるうち、はっきりと動いていることがわかるようになってきました。
ほんの2~3ミリほどですがとても大きな変化なのです。今までは自分の意志で動かすことはできなかったのですから。後ろに立ってじっと見守っていた奥さんが横に回って動き出した足の甲にそっと手を添えました。
ほんの2~3ミリほどですがとても大きな変化なのです。今までは自分の意志で動かすことはできなかったのですから。後ろに立ってじっと見守っていた奥さんが横に回って動き出した足の甲にそっと手を添えました。
「あなた 動いているよ 動いているよ」
[うん うん]
とうなずきながら一生懸命続けます足元にぽつ ぽつと涙が落ちているではありませんか。肩も少し震えています。
落ちる涙が絶望の底で必死に戦ってきた筆舌に尽くせぬ日々を物語っているようです。ほんのわずか動いたことで涙があふれる。健常な人には到底わかりようのない心境でしょう。深い深い絶望と苦悩の年月がわずか2~3ミリの動きを涙に変えたのです。どんなに嬉しかったことか、小刻みに震える肩が語っているようです。
夕方まで訓練し二人で帰って行かれました。
夜になって奥さんから電話がありました。
「今日は有難うございました。帰りの車の中で主人がこれから自分のことは堀尾さん
に全て任せてみるから送り迎えを頼むよと言いましたので宜しくお願いします」 と言われます。
「わかりました、一緒にがんばりましょう」
すると奥さんが
「今まで誰の言うことも心の中に落ちなかったのに堀尾さんの言葉はみんな心の中に落ちてきたよと言いました]
と言われます
「私も主人の後ろで見ていて全身で喜びを表している姿に目がうるうるしてしまいました。本当に嬉しかったです」
言葉が詰まりそうに話される声から嬉しさが伝わってきます。
この後から三日か四日の間隔で訓練を始めました。
毎回 訓練の課題を出します。どれもすぐにはできません。何に注意したらいいのかなぜするのかなど解説しながら訓練の手ほどきをします。訓練するのは脳卒中の後にできた新しい脳です。今四歳の真新しい右脳の運動野なのです。発症後一週間前後で壊れた運動野(体の動的バランスや手足の動きを司っている脳の部位 )に替わって新品の運動野ができたはずです。
が、そこには手足を動かしたりバランスを取ったりするプログラム(作業の手順書)がありません、それをインストール(書き込み記憶)して各種の設定(行う作業内容による決まりや遂行手順 たとえば箸の持ち方使い方等々)をしないことには運動野は意のままに機能させることができません。運動野から出ている神経は何千万本か一億本かわかりませんが、脳全体からは五~六億本出ていると言われていますから半身動かすだけでも膨大な数なのでしょう。この一本一本が筋肉の中の筋原線維(0.001~0.15ミリで束になって筋繊維を構成しているこれが束になったのが筋肉)に繋がっています。指一本を動かすのにどれだけの数の筋線維が動くのかわかりませんが筋原線維の細さからすれば莫大な数の筋原繊維が束になって一本の指を動かしているのでしょう。気の遠くなるような数の中から目的の指を動かす筋原繊維に繋がる神経を探し出し信号を流す、考えただけでも大変なことをしているのです。今まで使っていた運動野には手足に繋がっている神経接続情報が有ったのですが脳卒中発症と同時に失われてしまいました。
新しくできた運動野にはこの情報はありません。これをもう一度作ること、それが麻痺を克服する訓練その物なのです。◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
宮古島に来る前 岐阜県中津川市にある
ちこり村 という施設の一室でリハビリ教室をしていました。
そちらの様子はこちらから
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